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最近、面白そうなテレビ番組があると見ています。
そもそもテレビなし生活をしていたので、あまりテレビは見てなかったのですが、
面白い番組はやっぱり気になりますね。

見るのはもっぱらドキュメンタリー系が多いのですが、
昨日のNHKスペシャルも面白かったですね。
以下、番組で知ったことのメモです。

【番組名】
NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」
第1回“外交敗戦”孤立への道
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110109.html

【放送日】
2011年1月9日(日) 午後9時30分~10時19分 NHK総合テレビ

【番組の内容】
番組の名前は「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」。
番組のテーマは4つ。「陸軍、メディア、リーダー、外交」。
第一回目の今回は「外交」がテーマ。

最近発見された当時の政府関係者への聞き取りテープ約100本、
世界10カ国から集めた最新情報、史料を元に番組は作成された。
登場する専門家は以下の3人。

井上寿一(学習院大教授)
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/law/acstaff/pol/inoue/index.html
論文「国際連盟脱退と国際協調外交」
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/12863

鹿錫俊(大東文化大教授)
参考論文「中国の対日対ソ関係 : 1927〜1932年」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006454423


アントニー・ベスト(ロンドン大学教授、英日外交専門)http://www2.lse.ac.uk/internationalhistory/whoswho/academicstaff/best.aspx

http://www.asahi.com/international/history/chapter01/best10/02.html



【要旨】
番組の要旨は以下のような感じ。
ポイントとしては国際連盟脱退が運命の分かれ道だった。

単純化して言うと
まず政府として統一した動きができずにいた(=軍と外務省が別々に動いていた)。
→このことが、他国の不信をかうことになり、国際的孤立を生む。
→孤立解消のための方策をとろうとしたが思ったようにはいかなかった。
→戦争やるべしという人はほとんどいなかったにもかかわらず、
 やるしかないというような雰囲気になって日米戦争に突入していった。

※番組冒頭で当時の政府関係者3人分ほどの録音音声が流れるが、
 どれも米国と戦争すれば負けるとわかっていたのに、
 なぜかもう戦争するしかないという状況になってしまった
 というような声だった。

【詳細】
具体的には以下のような流れ。

《前提》
当時の日本は世界最高の暗号解読力を持っており、英仏の動きなどは暗号から情報を得ていた。

1931年 満州事変
当時、列強(イギリス、フランス、米国等)は植民地主義からの転換を
計っていたが、実際には植民地を手放すまでの行動はしていなかった。

だから、当時の日本陸軍の感覚としては満州事変程度のことをしても
イギリスもフランスも「わかってくれる」だろうと思っていた。

1932~1933年 国連総会
満州事変を受けて各国が日本の行動を批判。
日本の行動を正当化しつつ国際連盟に留まることを目指して、
日本代表の松岡洋右は弁論を展開する。この方針は天皇の意思でもあった。
松岡は日本の満州事変における行動に非はないと主張する。
松岡は英・仏はわかってくれると踏んでいた。

各国が強烈に日本を批判する中、イギリスは日本批判を控えていた。

総会4日目、イギリス代表のジョン・サイモン外相は日本に妥協案を提案。
→これを受けて松岡は日本政府に相談。
→当時の外相の内田康哉(外交官、満鉄総裁)は、このイギリスの提案を拒否。
 理由は日本国民は満州国建国に熱狂しているから。

国連総会中の年明け1933年1月、関東軍はさらに熱河地帯まで進軍したいと
許可を求める。外務省内にはそんなことは認められないという声があったが、
①もう動き始めているから止めるのは困難、②満州国内での出来事だから
列強も大目に見てくれるだろうという理由で進軍を許可。

同年2月、国連が日本への勧告案を用意。
もしかしたら経済制裁を受けるかもしれない(=世界恐慌のダメージからまだ脱していないからこれを受けるときつい)という状況になったところで、政府は方針を変更。経済制裁を受けるくらいなら国連を脱退した方がいいと国連脱退を決定。

その後、対中政策で陸軍と外務省が分裂。

国連脱退で国際的に孤立したことを受けて、
駐ドイツ特命全権大使で陸軍閥の大島浩は独自の考えで、
ドイツとの協定締結をめざし動き出す。

その動きを知った外務省は、それはまずいと考えはするが止めずに、
時の外相有田八郎は、防共外交を考案し、ドイツだけでなく、多くの国と防共協定を結べば、国際的孤立から免れるだろうと動き出す。

蒋介石の中国国民政府やオランダ、ポーランド、ベルギー、イギリス(駐英大使は吉田茂)に防共協定を持ちかけるがどれも不成立。その背景には日本政府への不信感があった。つまり、軍がやっていることと外務省が言っていることの整合性が取れていない点を不信に思い、協定締結は見送る。

結局、1936年にヒトラーのドイツとのみ防共協定が成立。

この後、日本は戦争へと突き進むことになる。

以上。

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