まちづくりに関する講演会を聞いてきました。
話し手は、境港市観光協会の会長さんでした。
お話によると、そもそものきっかけは、町の水揚げ量の低下にあったみたいです。
具体的には平成4年ごろからイワシを中心に水揚げ日本一だった境港が、その後、急速に水揚げ量が激減してきます。
以下のホームページによると、1995年は前年の41万トンから17万トンにマイワシが激減したみたいですね。
一方で市の中心部の商店街には人が通らないような状態になっていた酒です。「人間は誰も歩かん。歩いてるのは猫だけ」どういった状況だったとか。
そこで市としてこの状況なんとかしようと考え、思いついたのが妖怪のブロンズ像を駅周辺に並べてということだったみたいです。
講演会では、市が思いついたというようなニュアンスでしたが、以下の論文を読むと水木しげるさんの方から提案があったみたいですね。
面白かったのが、この案が出た時、まちで賛成する人はほとんどいなかったという話です。
理由は、ただでさえ寂れているのにそこに妖怪の像を設置するなんて、もっと気持ち悪くなる、みたいな意見が多かったそうです。
そこわ市長が説得して回って(という話でしたが、上記の論文では担当者がとなってますね)、一部から賛同者が出てくるようになり、1992年に鬼太郎と目玉のおやじなど6台のブロンズ像が初めて設置されたそうです。
その後、ブロンズ像の数が23台になった1993年に水木しげるロードとしてオープンしたそうです。
その頃の観光客数は5万人ぐらいだったとか。
それが今や370万人ぐらいまでに膨れ上がってるそうです。
その館の取り組みには以下のようなものがあったそうです。
1.スポンサーを公募する形でのブロンズ像の追加設置
2.妖怪の絵を描いフェリーや電車、飛行機等の登場
3.河童の泉や妖怪トーテムポール、妖怪の巨大壁画、妖怪ベンチ等の設置
4.妖怪ジャズフェスタや妖怪そっくりさんコンテストの実施
5.妖怪検定や妖怪川柳などの開発
6.妖怪人気投票の実施とそのベスト10から作った切手シートの販売
7.そのポストから投函すれば妖怪スタンプが押されて届けられる妖怪スタンプ専用ポストの設置
8.妖怪ガイドマップの制作と販売
9.妖怪ソングCDの製作販売
その他にもいろいろ実現してきたみたいです。
会長さん曰く、まちづくりのアイデアはそこら中に転がってるけども、結局やる人がいないだけ、だそうです。だから違いはそのやるかやらないかというところだけというような話もありました。
なので、講演会の趣旨に合わせると、水木しげるロードの成功の秘訣はとにかくいろんなことをやり続けたということなんでしょう。
水木しげるロードができたことで、商店街がどうなったのかということがもう少し知りたかったですが、その辺はあまりお話がなかったですね。
つまり、こういう取り組みをしたことで、例えば商店街に後継者が戻ってきたとか、新しい魅力のあるお店が増えたとかそういった変化はどうだったのかというのが気になるところです。
驚いたのは、境港には宿がないと言われ続けてきてが、ようやく来年ホテルが建設されるそうで、地元で早く始める人いなかったのかなと不思議に思いました。
あとはこの取り組みは、最終的に何を目指しているのか、その辺のビジョンがいまいちよくわからなかったですね。
追加で情報収集しなきゃと思った次第でした。
おわり
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