都市生活、かさむ出費/家計のひずみ(1)/かすむ復興
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市雄勝町の浜。津波は共助、自給で成り立っていた地域社会ものみ込んだ
<スーパー頼み>
住み慣れた漁村を離れて直面したのは、「貨幣経済」の冷たい現実だった。
「年金収入だけではとても間に合わない。都会の生活は大変ですよ」
仙台市内のみなし仮設住宅に暮らす伊藤ふつ子さん(70)が話す。石巻市雄勝町の自宅は東日本大震災の津波で流失。被災後間もなく、子どもを頼って移り住んだ。
雄勝では夫婦でホタテの養殖に従事していた。自宅ではトマトやキュウリ、ナスなどを育てていた。近所からウニやホヤをもらえば、お返しにホタテを渡した。
日常的に現金購入する食材は肉ぐらいだったが、「今は海産物を含めてスーパーが頼り」。支え合いと自給自足で成り立っていたコミュニティーを離れ、暮らしの再構築を余儀なくされている。
<「貧困」深刻化>
伊藤さんは移住後、仙台市中心部であったイベントで驚いたことがある。出店で焼きホタテが1個250円で売られていた。生産者の取引価格を考えれば、信じられないほどの高値だった。
「海の物はもらって食べるものとばかり思っていた」。海辺の生活の豊かさを、伊藤さんはしみじみと感じている。
被災者の困窮支援を行うNPO法人くらしのサポーターズ(盛岡市)の吉田直美副理事長(47)は「漁村にはわずかな収入でも暮らせる土壌が残っている。現金に依存せざるを得ない都市生活は貧困が深刻化しがちだ」と指摘する。
<物価高に苦悩>
沿岸被災地から関東方面に避難した住民も、予想外の出費と物価高に頭を悩ませる。
埼玉県新座市に暮らす野田貴之さん(52)=仮名=は今、マイカーを手放すか否か思案中だ。東松島市にあった自宅と実家はともに全壊。埼玉県内の短大に通っていた長女(21)のアパートに身を寄せた。
生活費や長女の学費を賄おうと、新座市内のスーパーで精肉処理のアルバイトに就いた。通勤用に約20万円の軽自動車を購入したが、ガソリン代や保険料といった維持費が重くのしかかる。
時給は850円。東北の相場から見れば決して低水準ではないものの、「こっちは物価が高い。すぐにでも帰りたいが東松島には家も仕事もない」と嘆く。
ことし7月に父親が亡くなった際は、葬儀代を弟に工面してもらった。「日々の生活に追われて払う余裕が無かった。長男としての責務を果たせなかった」。野田さんの表情に、深い苦悩が浮かんだ。
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東日本大震災は地域社会にとどまらず、被災者の暮らしそのものにも深い爪痕を残した。失職したり、見知らぬ土地への移住を強いられたりした結果、今なお経済的に困窮する被災者も少なくない。それぞれの家計の事情を追った。(震災取材班)=4回続き
2014年09月17日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201409/20140917_13010.html〓
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