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【本】『竹炭工芸への招待』

またまた林業じゃないけど、山に関わる本。
竹炭も焼いてみたいと読んでみる。

吉田敏八著『竹炭工芸への招待』創森社、2000年出版


読み始めると最初に著者が炭焼きしている場所の紹介があり、それが福島県の都路村(当時)とあったのに驚く。というのは、ご存知この地区はつい最近避難解除になった地区だから。
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避難指示解除半年、帰還進まず 

田村・都路東部 福島第1原発事故の避難指示が4月に解除された田村市都路地区東部(原発20キロ圏)では、住民の帰還が進まない。

 市の8月末の調査によると、自宅に戻った住民は47世帯117人で全体の33.1%。川内村と同様、医療や買い物など生活圏として依存していた双葉郡の大半は避難区域となった。生活基盤が崩れたことが、帰還を阻む大きな理由の一つだ。

 都路町商工会によると、都路地区東部の商店や企業など8事業者のうち、6事業者が営業を再開。ただ、元の場所で再開したのは畳店とペンションの2カ所だけだ。都路地区全体では約9割が事業再開にこぎ着けたが、市中心部の船引地区などで移転再開するケースも多く、地域経済や雇用に影響を与えている。

 市は帰還支援策として、都路地区の2カ所に日用品や食料品を販売する仮設の商業施設を開設した。年内には地区中心部にコンビニも出店する。市は公営住宅整備や、市中心部と都路地区を結ぶ乗り合いタクシーを運行するなど、利便性向上に努めている。

 8月30日にあった市と地区住民の懇談会では、放射線の不安を訴える声のほか、若者定住へ雇用の場の創出や、農林業再開に向けた山林除染を求める声が相次いだ。住民の多くは利便性の高い市中心部にとどまっており、特に子育て世代は帰還には慎重だ。

 都路9区の根内昌美副区長(62)は「時間が経過すればするほど、地域のつながりも薄れる。生活再建など課題はあるが、親睦会など住民が集まる機会を設けて、戻りやすい環境をつくっていくしかない」と話した。
2014年10月02日木曜日


http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201410/20141002_61011.html


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自然に依拠した暮らしをしていた人は、今どうしているのか、気になり調べてみると長野の方に移られたようですね。

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【東北を離れて 岐阜で暮らした2年】(5)新たに窯場再起の炎
2013年 3月 9日

避難者交流会に参加した吉田さん一家。「自分一人なら戻りたい。でも子育ての環境をつくっていかないとね」と敏八さんは話した=2月24日、海津市内

 阿武隈山系のなだらかな南向き斜面で、竹炭を焼いて暮らしていた。半世紀以上住み続けた山里を、まさかこんな形で出ることになるとは―。

 福島県田村市の吉田敏八さん(55)は、福島第1原発事故で故郷を離れ、高山市の雇用促進住宅で避難生活を続けてきた。

 窯場を併設した自宅は、田村市東端の都路地区にある。標高500メートル。春は山菜やタケノコが採れ、夏はイワナやヤマメを求めて釣り人が上がってきた。秋はナラやクヌギが色づいた。

 神戸市から13年前に嫁いだ妻の優生さん(44)は夜空を見上げ、「プラネタリウムのよう」と驚いたという。8歳から12歳まで3人の子どもと共に、自然の中で生きてきた。

 もともと、同地区は昭和30年代まで炭焼きが盛んだった。25年前、有機農法の資材にしようと隣接する双葉郡からモウソウチクを仕入れ、竹炭や竹酢液を作った。ブームに乗って一時は15人近い従業員を雇ったこともある。

 ところが、2011年の福島第1原発の事故で、状況は一変する。自宅は原発の23キロ西。3月11日のうちに郡山市に避難し、さらに福井、兵庫、山形と転々として、9月になって高山市にたどり着いた。

 自宅周辺の緊急時避難準備区域は解除され、戻った人たちもいるが、小さな子どものいる世帯はほとんどいない。月に1、2回、帰るたびに思う。

 「見てもらえれば分かるが、風景は何も変わっていない。山は美しいまま。それが、何でここを離れなくちゃいけないのか…」

 福島県内の別の業者が木炭の灰の放射線量を測ったところ、高い値が出た。竹も産地の土壌が汚染されており、厳しい結果が出るはずだ。先月中旬、自宅の敷地は除染してもらったが、山林までは手付かず。再開は、いよいよ難しい。

 1996年に合併するまでは、都路地区は人口3千人足らずの小さな村だった。1万本の竹筒の明かりを並べる「都路灯まつり」など地域おこしの先頭に立ってきた敏八さんにとって、縁を切れるはずもない。

 震災から間もなく2年。来月、吉田さん一家はちょっぴり福島に近い長野県上田市に引っ越し、新たに窯場を設けて再起を図る。

 良質の竹と、煙を出しても迷惑を掛けない場所を求めて、飛騨市や恵那市、遠くは佐渡や岡山まで全国で候補地を探してきた結果だ。見えてきたものは、担い手を失い、急速に衰えている日本の中山間地の農業の姿だった。

 そしてもう一つ。「あらためて分かった。自分の住んでいた所は、本当にいい所だったんだなって」。思いを胸に、都路地区の再生に関わり続けるつもりだ。

=おわり=

http://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/2011/shinsai/shinsai20130309_1.shtml
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さて、本書では竹炭が注目される前から著者が取り組んできた竹炭作りの悪戦苦闘が紹介されている。

炭焼きは難しいとは聞いているものの、竹もけっこう大変そう。

面白いのは、まわりの人や木の炭焼きやっている人から「そんなことやったらだめになる」みたいなことを言われながらも、それらのアドバイスを鵜呑みにすることなく、自分でいろいろ実験と改良を重ねて、その技術を確立してきた点。やはり自分で確認する作業は大事ですな。

そして行き着いたのが、見た目も美しい燃料用竹炭「華炭」。それで特許もとったそう。
参考⇒http://j-net21.smrj.go.jp/expand/shigen/MTninteiKeikaku/pdf/fukushima080704_01.pdf
特許⇒http://www.patentjp.com/13/L/L105303/DA10001.html

ともあれ、著者の新天地での事業再開が無事進むことをお祈りします。

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