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忙しくてなかなか行くことができなかった南相馬に行ってきました。
一昨日(2011年12月8日)のことです。

河北新報に載っている放射線量を見ると仙台は0.07マイクロシーベルト/毎時程度だが、
南相馬は0.3マイクロシーベルト/毎時。

もっとも同新聞に掲載されている数字だけで言えば、
福島県内ではもはや南相馬の放射線量は相対的には低い方になっている。
福島市などでは1マイクロシーベルト/毎時が常態になっているから。

途中の相馬市などは6号線の沿道を見る限りでは、
宮城県内同様、お店なども通常営業に戻っていたが、
南相馬に入ると震災後から放置されてるらしい郊外型チェーン店舗が散見されるようになる。

また田畑には船がまだいくらか流されたときのまま置かれてもいた。






用事があったホテル六角は、原発20㎞圏のすぐ外。20.5㎞圏。
近づくにつれ、注意書きが書かれた看板が相次いで沿道に現れる。








20㎞地点で検問をしている警察がきちんと防護服を着ているのが意外だった。
ここまで来る間に他に防護服を着ているは見なかった。
マスクすら小さい子以外はつけていない。

ホテル六角はその名の通り珍しい形をしている。
ここがこの地域の支援活動のひとつの拠点になっている。
活動しているのは地元の人たち。

聞くと一度は市外・圏外に避難したが、また戻ってきたらしい。
家が20㎞圏内にあるため帰れない人もいれば、津波で何もかも流された人もいる。

話を聞くと、一緒に住んでいた家族がバラバラに住んでいるケースでは、
3~4か所に分かれて暮らしている人が一番多いらしい。
例えば祖父母は地元に残り、若夫婦の旦那は仕事の都合で仕事のある場所へ、
奥さんと子どもは県外の安全なところへ、といった具合に。

沿岸部を見て回ると田畑で瓦礫拾いをしている人たちを見る。
国の緊急雇用対策のひとつなのだろうが、これらの田畑から瓦礫を
取り除いたとして、その先はどういうふうに使うのだろうか。

南相馬には木造の規模の大きい仮設住宅群があるので、それも見てみる。
木造の仮設は初めて見たが、なかなか住み心地良さそう。
隣とも離れており、平屋の一軒家のようになっている。
でも、人は入っていない。






宮城もなかなか先が計算できない状況にあるが、
福島は計算しようにもその前提となる条件すら見通しが立たない状況にあるように感じる。




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20110928 海に縁台

先日、人生で初めて海釣りに出ました。


津波で船を流された人が新しく入手した船に乗せてもらい、ぐるぐる海上を動きながらの釣りでした。


このあたり(気仙沼)では、しょっこ(塩っこ)と呼ばれる魚が12尾と網にかかっていた鮭2尾がとれました。



その後、知り合いの人の仮設住宅に行って縁台を作りました。
近所の人が来たときに座ってお茶が飲めるような台がほしいというリクエストに応えて、
材料費1200円ほどのものをつくりました。







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http://mainichi.jp/seibu/photo/news/20110907sog00m040003000c.html

原発:電源の透視図 九州の原発を歩く/「ゼニのためのデモ」

 漁師がこぶしを振り上げながら張り上げたシュプレヒコールは原発建屋にこだました。05年9月15日午前10時すぎ、九電玄海原発(佐賀県玄海町)の沖合に約140隻の漁船が集結した。船体には「プルサーマル絶対反対」の横断幕。玄海原発のプルサーマル計画に国が許可を出した8日後のことだ。

 デモをしたのは玄海町に隣接する唐津市の4漁協。海上デモは5月に続き2回目だが、なぜかこれを最後に収束した。参加したある漁師は明かす。「俺たちはプルサーマルに反対しとったんじゃない。ゼニをもらうためのデモだったから」。漁連元幹部も述懐する。「反対しても国と知事と町長がよかって言えば、それでよかになる。反対してもどうもならん状況やった」

  ■  ■

 原発を立地する時、電力会社は地元漁協に漁業補償金を支払う。埋め立てによる漁業権の消滅や、温排水による影響など地元の漁業活動に支障が出ることへの補償だ。額は過去5~10年の漁獲高などを基に計算する。玄海原発近くの外津漁協(玄海町)はこれまでに約20億円、川内原発(鹿児島県薩摩川内市)3号機増設を巡って川内市漁協は約44億円の補償金を手にしたといわれている。

 だが、補償金は原則、原発の新設や増設以外では支払われない。「ゼニのためのデモ」と明かした漁師は毒づく。「プルサーマルを導入したら玄海町だけは公金(交付金)をいっぱいもらえるけど、俺たち漁師には何もない」。だが、海上デモを行った漁協が所属する漁連は、09年から3年間で計7億円を引き出す約束を九電と取り付けた。名目は「水産振興対策費」だった。

  ■  ■

 九電から原発マネーを引き出したのは漁協だけでない。

 06年8月。佐賀県議長の原口義己県議(当時)は福岡市の九電本店に乗り込んだ。当時、九電は福岡市が計画していた粒子線がん治療施設について協力態勢の検討を進めていた。そこへ佐賀県も名乗りを上げたのだ。「建設には九電の協力が必要だった」(原口県議)。県議には切り札があった。

 プルサーマル計画の賛否を問う県民投票条例案。「可決させますよ」。九電幹部に迫った。県民投票になればプルサーマル計画は頓挫する可能性もある。条例案の可否を決めるのは議会だ。

 結局、場所は佐賀県鳥栖市に決まり、福岡市は撤退した。なぜ九電は引っ繰り返したのか。当時の九電が置かれた状況をみればよく分かる。プルサーマル計画は国策で進められていたが、先行していた東電が機器トラブル隠し、関電が検査データ改ざんで相次いでつまずいた。「それで九電に第1号の期待がかかっていた」(九電元幹部)。プルサーマルは至上命題だった。

 「国内第1号のプルサーマル営業運転に向けた関係者の大変な努力に敬意を表したい」。09年12月、プルサーマル発電が玄海原発で国内初の運転を始めた日、原子力安全・保安院の担当課長は検査合格証を九電幹部に手渡し、たたえた。翌年4月、九電はがん治療施設(事業費約150億円)に39億7000万円の寄付を発表した。

2011年9月7日

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2011年8月30日20時21分
http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY201108300454.html


急性白血病で福島原発作業員死亡 東電「因果関係なし」

 東京電力は30日、福島第一原子力発電所で復旧作業にあたっていた協力企業の40代男性が8月上旬に急性白血病で死亡したと発表した。東電は「男性の作業と白血病による死亡に因果関係はない」としている。

 東電によると、男性は8月上旬に福島第一原発で7日間、休憩場を出入りする作業員の放射線の被曝(ひばく)管理をしていた。その後、体調の不良を訴え、数日後に死亡したという。

 男性はほかの原発も含めて原発内の作業にあたった経験はなく、今回が初めてだったという。被曝線量は外部被曝が0.5ミリシーベルト、内部被曝はなかった。東電が、協力企業を通じて診断医師に確認したところ、「急性白血病は(臨床症状が出るまでの)潜伏期間が数年あり、死亡直前に短期間被曝して発症することはない」との説明を受けたという。

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陸前高田市のポスター

気仙沼で陸前高田市のポスターを見つけました。来週お祭りがあるみたいです。



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交付金で原発後押し レベル7翌日「新設は増額」

2011年8月17日 07時01分
写真

 原子力関係予算を握る経済産業省と文部科学省が福島第一原発事故の一カ月後、原発の立地自治体などに交付金を支給する規則を全面改正し、新増設時の交付額を増やす一方、既設の原発では発電実績に応じて交付額を決める方式に変更していたことが分かった。事故収束に向けた見通しが立たず、原因究明もままならない時期に、新増設や運転を後押しする改正をしていたことになる。

 改正したのは「電源立地地域対策交付金」の交付規則。四月十三日に改正され、海江田万里経産相と高木義明文科相の連名で、同日付の官報に告示した。経産省原子力安全・保安院が福島第一原発事故の国際評価尺度を、旧ソ連チェルノブイリ原発事故と同じレベル7に引き上げた翌日のことだった。

 改正規則では、原発を新設したり増設したりする際の交付金の単価を増額。発電能力(出力)百三十五万キロワットの原発を新設する場合だと、運転開始までの十年間に立地自治体へ支給する額は、四百四十九億円から四百八十一億円に三十二億円上積みした。

 一方、既設の原発では、発電実績を重視する仕組みに変わった。

 立地外の都道府県に電力を供給した際に交付する「電力移出県等交付金相当部分」は、たとえ発電量がゼロでも、原発の規模に応じた交付金が支払われてきた。二年間の経過措置はあるものの、今後は発電量だけが基準になる。

 運転開始の翌年から運転終了まで長期間にわたり支給する「長期発展対策交付金相当部分」や、使用済み核燃料再処理工場などの地元に交付する「核燃料サイクル施設交付金相当部分」も、発電量や稼働実績を重視して交付する。

 新増設に反対する市民団体からは実績主義への変更によって運転を停止すると交付金が減るため、地元自治体が停止を求めにくくなると指摘が出ている。

 資源エネルギー庁は今回の規則改正を記者発表せず、官報に告示しただけだった。説明用の冊子も二〇〇四年二月に規則を制定した際には、表紙に「大改正後の新たな交付金制度」と記し、「新たに地域活性化事業が交付対象事業に追加」などと、これまでの制度との違いが分かるようになっていた。だが、今回は新制度の内容しかなく、どこを変更したのか前の冊子と比べないと分からない。

 同庁電源地域整備室は「昨年六月にエネルギー基本計画が閣議決定され、これに基づき改正したが、地元からの要望もあった」と説明。官報の告示時期には「特段大きな意味はない」としている。

<エネルギー基本計画> 2002年に制定されたエネルギー政策基本法に基づき、エネルギーの需給に関する長期的、総合的な施策を進めるために政府が策定する。昨年6月に菅直人内閣が閣議決定した基本計画では、原子力について「安全の確保を大前提として、国民の理解と信頼を得つつ、新増設の推進、設備利用率の向上」などを図るとしている。30年までに14基以上の新増設を行う目標を掲げている。

(東京新聞)

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こちらで仲良くなった人が記事になっていました。

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復興へボランティア専念 気仙沼の元塾講師、支援団体職員に

「シャンティ国際ボランティア会」の気仙沼事務所で支援活動に当たる三浦さん(右)=8日、気仙沼市本吉町

 東日本大震災の復興に、ボランティアの立場でかかわり続ける若者が宮城県気仙沼市にいる。同市本吉町前浜の元塾講師三浦友幸さん(31)。震災以降、避難所の事務局長を務め、このほど東京のボランティア団体の気仙沼事務所に職員として採用された。「震災後、行方不明になっている母に恥じない生き方がしたい」と奮闘する姿に、多くの人がエールを送る。

 三浦さんは3月11日、市中心部の塾で勤務中に震災に見舞われた。自宅は津波に流され、近所の高齢者を高台に移動させた後、自宅に戻った母経子さん(56)の行方が分からなくなった。
 「母を見つけたい」という一心で付近を捜索しながら、多いときは約300人が避難した同市本吉町の清凉院でボランティアとして避難所運営に携わった。後に仕事も辞め、運営に専念。事務局長として、休みなく物資配布などの調整を続けてきた。「地元の人々やボランティア仲間の支えがあったからこそ続けてこられた」と振り返る。
 復興に尽くしたいという思いは募り、7月には市内で支援活動を続ける公益社団法人「シャンティ国際ボランティア会」(東京)の気仙沼事務所に採用された。シャンティで支援活動に携わる傍ら、今も清凉院の避難所の運営にも当たる。
 シャンティ気仙沼事務所の責任者白鳥孝太さん(38)=東京都=は「三浦さんのような若者が、避難所の事務局長として活躍していることに驚いた。復興のために何ができるかを一緒に考えたい」と話す。
 三浦さんは現在、父や弟と同市本吉町の親戚宅で暮らす。
 「全国からボランティアが気仙沼に駆け付けてくれる一方、若者がどんどん地元から離れていくのが心配だった。若者が定着し、地域が元気になるためにできることをしたい。母も見守ってくれていると思う」と話す。

2011年08月16日火曜日


http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110816t15024.htm

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関わっている地域で行われている活動です。
ハンモックがほしい方はぜひ。

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漁網作りの技 「漁師のハンモック」商品化 気仙沼・本吉

気仙沼市本吉町大谷地区で、刺し網漁に使うロープでハンモックを作る漁師たち

 東日本大震災で漁船や漁網を失った宮城県気仙沼市の漁師たちが、漁網作りで培った技術を生かし、ハンモック作りに取り組んでいる。被災地支援で交流が芽生えた山形県最上町の松林寺住職三部義道さん(55)が「漁師のハンモック」と名付けて商品化し、購入希望が舞い込んでいる。まだ海に出られない漁師は、ハンモック作りで明日への希望を感じ始めている。
 ハンモックは縦200センチ、横80センチ。気仙沼市本吉町大谷地区の避難所や仮設住宅などで暮らす漁師10人が、網を編む技を応用して丁寧に仕上げる。材料は刺し網漁で用いるロープ。少々武骨だが、味があって丈夫なのが自慢だ。
 すべて手作業なので1日に10人で2個完成させるのがやっと。製作チームのリーダーで、大谷地区の清涼院で避難生活を送る紺野幸一さん(55)は「いずれ海に復活できるまで、少しでもいいから仕事して、いくらかでもつないでいきたい」と張り切っている。
 ハンモックを作り始めたのは7月半ば。避難生活で手持ち無沙汰にしている漁師たちに、外国人ボランティアが提案したのがきっかけだった。売るつもりはなかったが、漁師の一人がふと漏らした「漁師は山では暮らしていけないっちゃ」という言葉を聞いた三部さんが、わずかでも収入につなげようと商品化を思い立った。
 三部さんは僧侶として長年ボランティア活動に取り組む。震災後は避難所になっている清涼院に何度も足を運んで物資を届け、炊き出しを行った。ハンモック作りでは広報の役目を買って出て、売り込みに力を注いでいる。
 三部さんは「漁師仲間が集まって雑談しながら作業すれば喜びになるし、漁師として生きていく張り合いになると思う」とハンモック作りの狙いを話す。
 送料込みで1個1万円。申し込みは住所、氏名、電話番号を明記し、松林寺へファクス=0233(45)2833=で。連絡先は松林寺090(2276)3066。

2011年08月17日水曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110817t15003.htm

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ま゛たまた気仙沼

今日は気仙沼のお祭りの手伝いです。大漁旗かっこいいですね



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気仙沼にきてます

ひさしぶりに気仙沼に来てます。霧がすごいですね。



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