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本日のお仕事

今日は朝から山の方へ。

ちょっと前に頼まれていた倒木の処理作業に行きました。

雪の重みで倒れたという桜の樹等を処理してほしいということで改めて行ってみました。

根本から倒れてしまっている桜の木が二本と雪の重みで枝が裂け落ちそうになっている木が2~3本ありました。

樹種のわからない木で、その下の住宅に滑り落ちそうになっている木も2本ほどありました。

今日は途中で雨が降ってきたため、倒れた木に巻き付いている蔓を外したりする作業だけで終了。

天気のいい日に改めて作業する予定です。








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能登の塩田村

先日、能登半島のすず塩田村に行ってきました。
http://enden.jp/

天気が悪い日は作業ができないこともあり、この日は作業の様子は見れず。

塩を煮詰める釜屋も見学しましたが、ちょうど鉄鍋のサビ落とし作業中だったようで、鍋の中はサビで真っ赤でした。

小屋の中にはここで煮詰められて出来上がった塩が置かれてました。









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海越しの立山連峰

先週末はお天気に恵まれ、富山の綺麗な風景を見ることができました。

富山湾の向こうに立山連峰が見える写真は見たことありましたが、実際に目の当たりにするとなかなか感動ものですね。

ちょっと手前の土地が目立ちますが、奥の雲みたいに見えるのが立山連峰です。




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家の片付けやってます

富山のとあるまちに一軒家を借りて住むことにしました。

築50年の物件。

そんなに大きくは傷んではいないものの、畳をあげてみれば虫にやられているところを発見したり、畳の裏がカビていたりとあれこれ手を入れないといけないところを発見。

とりあえず、まずは畳とその下の板の湿気を取ろうとここ一週間は畳を干してました。

虫にやられているところは大工さんにお願いすることにして、畳が傷んでいる部屋についてはフローリングにすることにしました。

また、ある部屋は畳をあげたら囲炉裏の跡が出てきたので、囲炉裏を復活させようと思ってます。

ただ、ここ数日のように雨が降った後に急に晴れて、そして突然雪が降るなどまだまだ天候が安定しないので、もう少し天気が安定するようになったらイベント的にやろうかな、と。

それまでちょっと材料探しです。

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福島県:86人甲状腺がん「放射線の影響とは考えにくい」
毎日新聞
 ◇子ども対象の甲状腺検査で中間報告まとめ

 東京電力福島第1原発事故で、福島県は24日、子どもを対象に行っている甲状腺検査に関する専門家による評価部会を開き、中間報告をまとめた。昨年末現在で見つかった86人の甲状腺がんについて「放射線の影響とは考えにくい」とした。

 理由として、1986年のチェルノブイリ原発事故と比べて被ばく線量が少なく、放射線の影響を受けやすい5歳以下でがんが発見されなかったことなどを挙げた。対象は18歳以下の約37万人で、約30万人が1巡目の検査を受けた。2巡目の検査は14年4月から始まり、来年度末までの予定。【岡田英】

http://mainichi.jp/select/news/20150325k0000m040144000c.html

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明るい未来見えず…原子力PR看板撤去へ

撤去の方針が決まった体育館前のゲート=2月
拡大写真
 東京電力福島第1原発の立地町で、全町民が避難している福島県双葉町は、原子力のPR看板を掲げた町内2カ所のゲートを撤去する方針を決めた。老朽化が理由。看板は、原発との共生を目指した町の象徴だった。帰還困難区域の町中心部で町道をふさぐように倒壊している家屋も除去する。
 新年度の一般会計当初予算案にゲートの撤去費410万円と、家屋除去を含む町道環境整備費3200万円を計上した。
 国道6号に面した町体育館前のゲートは1988年の設置で、表裏に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表記。役場入り口のゲートは91年に完成し、「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力豊かな社会とまちづくり」と書かれている。標語は町民から募集した。
 ともに鉄骨やトタンで造られ、文字板はアクリル製。長期避難で管理ができず、腐食が進んだ。町復興推進課は「作業員や一時帰宅した町民の安全性を考え、撤去を決めた。標語の内容は関係ない」と説明。伊沢史朗町長は「保存は考えていない」と述べた。
 撤去は夏以降になる見通し。いわき市に避難する男性(57)は「安全神話が崩れ、避難している町の現状を考えれば、看板の言葉はふさわしくないが、町の歴史を表してもいる。撤去は一つの節目で、複雑な気持ちだ」と話した。
 道路に倒壊した家屋の除去は、旧国道の町道沿いにある11カ所が対象。所有者の了解を得た上で、道路にはみ出した部分を取り除く。地震や長期避難による老朽化で崩れた家屋は、無人と化した町の荒廃を物語っている。


2015年03月11日水曜日

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ソフィアで食べたもの

ブルガリアの首都ソフィア滞在中に食べたものです。ブルガリア料理屋が見つけられずブルガリア料理はあまり食べられませんでした。

市場で買った蜂蜜


宿の夕食


宿の朝食


トルコ料理ですがケバブ。イスタンブールより安いです。


ピザ。これで150円ほど。


これもトルコ料理。


トルコの甘味。



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ソフィアの市場の風景

ブルガリアのソフィアの市場での写真です。















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<祈りと震災>(5)科学に心追い付かず(1/27 6:05)

見覚えのないネックレスが今も脳裏に浮かぶ。
 十字架とハートを組み合わせたデザイン。息子の遺骨とともに警察から引き渡された。遺骨に引っ掛かっていたという。
 一緒に住んでいたのに記憶にない。息子の親友から「肌がかゆくなるから嫌いだったはずだ」と聞いた。
 「お前は本当に死んだのか。間違いないのか」。疑念がこみ上げる。
 宮城県亘理町の無職小野時郭(ときひろ)さん(68)は東日本大震災で次男宏行さん=当時(33)=を失った。自宅近くで津波に巻き込まれた。

 太ももは2011年12月にがれき集積場で、頭は13年2月に水路の復旧工事現場でそれぞれ見つかった。ともに損傷が激しく、生前の面影はもちろんない。DNAと歯型が身元特定の決め手となった。
 津波による行方不明者が多い中、生きたしるしが戻ってきてくれてありがたかった。頭では息子の死を理解しようとするが、どこか割り切れない。
 火葬後、妻の八重子さん(67)と「しばらくは手元に残す」と決めた。自宅の仏壇に骨箱を置き、ネックレスを掛けた。
 「息子の体がもっと見つかるかもしれない」「人違いならどこかできっと生きている」。二つの願いが交錯したまま1年以上が過ぎた。
 「友人がお盆に墓参りしてくれるのに、遺骨がないのは忍びない」。昨年7月に納骨を済ませ、ネックレスを墓に入れた。
 それでも区切りをつけられない。

 納骨して間もなく、スマトラ沖地震の大津波で行方不明になった少女が見つかったというニュースがテレビで流れた。10年ぶりの家族との再会。現実的でないと言い聞かせつつ、宏行さんに置き換えて想像を巡らせた。
 出入りしそうなパチンコ店に足を運ぶ。若い男性の後ろ姿に目が向く。襟足が長いと似ている気がして、回り込んで顔を確かめてしまう。
 科学の力なしでは突き止めることができなかった身元。でも科学は信じ切れない思いまで解消してくれない。死を受け入れるかどうか、納得のいく答えは見つからない。
 「納骨したのに何を考えているんだろう」
 ほほ笑む遺影への問い掛けを続ける。宏行さんの魂は、両親にどんな返事をするのだろう。

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201501/20150127_13016.html
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イスタンブールからソフィアへ

寝台列車に乗ってイスタンブールからブルガリアのソフィアへ行こうと思い、イスタンブールの駅で事前にチケットも買いました。

が、その時からちょっと怪しい事態になりそうな予感はありました。なんせチケットを買う時に、寝台列車のコンパートメントは何人用か聞いてみたら返ってきた答えは、「ノー コンパートメント。シート オンリー」。

ブルガリア鉄道ホームページでも寝台列車と書いてたはずだが、コンパートメントがないとはどういうことなんだ?

列車は22時にイスタンブールの駅を出るというので、チェックアウトしたあとだけの宿に8時ごろまで行って歩いて20分ほどかけて鉄道駅に向かう。

外はもう暗いが、街灯もありまた観光客や人が歩いており駅までの道のりは割と安全だった。

駅に着いたはいいが、どこから電車がわかるわからないので、切符売場で聞こうとすると、事務所から看板を持ったおじさんが出てくる。

おじさんはすれ違いざまに、「ソフィア バス」と言って看板と待合室を指差す。そして「テン オクロック」と言って待合室で待つように、というような仕草をする。

待合室は住み込めば100人ぐらい入るような広いスペースだが、椅子が周囲にぐるりとあるだけでがらんとしている。


しかも入ってすぐ異臭がする。駅には猫が何匹もいるので、どうもそのしょんべんの臭いのよう。

待合室には既に欧米人のグループ四人ほどと地元の人らしいおじさん、おばさんが10人ほどベンチに座っていた。

待つこと40分ほど、バスが駅になってくる。40人ほどが乗れる大型のバス。前に行ってバスのメーカーを確認するとメルセデスベンツだった。


22時になる前にバスに乗りこむ出発を待つ。

バスは予定通りにイスタンブール駅を22時に出発。乗客はドイツの男女3人グループとフランス語をしゃべる人のカップル1組に同様にフランス語をしゃべる1人旅らしい若い男性、あとはぼくら日本人2人、トルコ人かブルガリア人のおばちゃん2人だけ。がらがらだ。

バスが発車すると暖房も聞いていたため寝てしまう。

最初に目が覚めたのは夜中の12時ごろ。サービスエリアでの休憩時間だった。トルコのサービスエリアは日本と同じ位充実していて遠目からも中でいろんなお店がやってるのが見える。

しかし眠気が強かったため外には出ずそのまま待つ。

次に目が覚めたのは夜中の1時20分過ぎ。駅に到着したよう。

バスからリュックを引きずりだし、待合室には入る。暖房あり。

ホームに出てみると電車はまだ来ていない。

しばらくホームで待っていたがなかなか来ないので待合室に入る。


おばちゃん2人は寝息を立てて眠り始める。おばちゃんたちがこうしてという事はまだまだ電車が来ないのだろう。

ぼくらもベンチに腰掛ける。ベンチは靴で踏まれたのか土っぽいものなどが乗っかっていたので、いらない紙で拭いてから座る。

待つこと30分ほど。2時過ぎくらいにパトカーがエンジン音を響かせながらホームに入ってきてキュッとUターンして止まる。ホームを車が走るなんて初めて見た。

そしたら間も無く汽車が入ってくる。電車ではない。ディーゼルで動いているようで車両はエンジン車一両に客車一両の合計2両。

イスタンブール駅のおばちゃんがコンパートメントはないと言っていたのが今わかった。

国際列車というのに、あまりの小ささにちょっと笑いが込み上げてくる。


荷物を担いでホームに出ると、汽車から降りてきたおばちゃんを警官がパスポートと英語で書かれた部屋に案内していた。

続いて僕らにも中へと合図するので、パスポートを取り出し出国審査を受ける。質問なし。スタンプのないページに押せばいいのち、コスタリカのスタンプの上から押される。所用時間1分ほど。

それから列車に乗り込む。向き合わせの席に陣取る。暖房が入ってなく、やや冷える。


出発を待つがなかなか発車しない。暖房もつかないので寝袋を出して温まっていると3人の警官?が「ポリススタンプ」と言ってやってきたのでパスポートを見せる。それからチケットもチェックされる。加えて荷物は何かというようなことを聞かれたので服などだということで、検査終了。

しかしそれでも出発する気配なし。ただ待つ。

ドイツ語三人組はずっとおしゃべりしている。

3時、エンジンがかかり車両が揺れ始める。しかし進まない。

3時10分、連結作業をしているようで車両ががシャンと揺れる。さらに何かを組み替えるような金属音がし、いざ発車かと思いきや相変わらずアイドリング。

3時15分、エンジンの回転音が上がり、いよいよと思いきやまだまだ。外ではおじさんたちの声がする。

4時3分、ついに出発。駅に着いてからもう3時間が立とうとしていた。

寝袋をかぶってウトウトしていると口調の強い声がする。目を覚まして声のする方を見ると濃い緑色の作業着を着たちょっと太めの女性が、ドイツ語三人組にどこに行くのか?何しに行くのか?と英語で聞いている。
どうやらブルガリアの国境に着いたらしい。発車して30分での再停車。

その検査官はこちらに来て同じことを聞く。それに答えてみたが、パスポートの写真と現物が一致しないようで女性は男性の係官を呼んできて、2人でパスポートと現物を品定めしている。

3分ほど頑張ってようやく解放。パスポートは持って行かれ、20分ほどするとスタンプが押され戻ってきた。

男性の係官はその間、懐中電灯を持ってベンチの下や連結部分の天井裏などを調べ回っていた。腰には小さなピストルあり。

5時17分、列車はようやく動き出す。カーブのたびにあちこちから軋む音がする。発車しても暖房がつかない。

7時ごろ外は明るくなる霧で真っ白。

8時45分、プロブディフという駅に着く。そのまま座っていたらドイツ語三人組が降り始めたので、なんでかなと思っていたらおじさんが回ってきて、片言英語でフィニッシュ、ソフィア、アナザートレインと言い出す。

慌ててかぶっていた寝袋を抱え、リュックを背負い列車を降りる。

降りてから列車に乗っていたおじさんに片言ロシア語で聞くと、ソフィアへの列車は11時らしい。確かに駅の電光掲示板に英語とロシア語で11時11分ソフィアと書かれている。

時間があるので、まちを少しみることにする。トイレに行こうにもお金がかかるので駅のインフォメーションで両替できるか聞くと駅ではできないと言って外を指差すので。そちらの方へまずは行く。

そしたら両替屋を発見。その先にバスターミナルも見えたのでそちらを確認するが、そこには両替屋がなかったなので先に見つけた両替屋で両替する。

1USD=1.685レバ。しばらく街を歩いて周り、11時前に駅に戻る。

電車に乗る前に朝食。家の周辺にあるパン屋をめぐって、パンを買って食べる。



どれもだいたい1.5レバ=100円くらい。イスタンブールと比べると半分以下。驚く。


11時15分、プロブディフ発車。予定時刻は11分だったのでほぼ時間通り。

しばらく走ると列車は霧の中をゆく。今回は暖房が入っていて快適。乗客も多い。

改札の女性車掌さんが回ってきたのでチケットを見せる。例のごとく裏側になにやら書き込んでチェック終了。


車窓からは広大な放牧地のように見える平坦な草地や時々リンゴ園らしき果樹園やトウモロコシの栽培跡が残る畑などが見える。

こうした景色を見るたびにここに暮らす人たちはどのような感覚で現代を生きているのかと考えてしまう。

メガソーラーも見える。町に入ると崩れかけた家やひどく落書きされた建物が目につく。


つづく?












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