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原発事故が浮き彫りにした東電の権力構造
官邸・経産省との連携、十分に機能せず
2011/4/9 20:15
4月7日、体調不良で入院していた東京電力の清水正孝社長が復帰した。しかし社内外では、社長不在の間に陣頭指揮を執っていた勝俣恒久会長が引き続き、事態収拾までリーダーシップを振るうとの見方が支配的だ。東電の社内政治を考えると、「指揮命令系統が1つになり動きやすい」(電力関係者)からだ。福島第1原発の事故処理でのもたつきが招いた危機は、皮肉にも同社の特殊な権力構図を浮き彫りにしている。
清水氏の08年の社長就任は東電の歴史から見て二つの点で異例だった。ひとつは出身大学。同氏は慶応大卒で、47年ぶりの東大以外の大学出身者だった。ふたつ目は東電の主流である企画、総務ではなく、資材部門の出身だったこと。明朗で人当たりの良い清水氏の業界内での評判は決して悪くなかった。原発などオールジャパンのインフラ輸出を側面支援するため、東電として海外の電力事業に積極的に進出する新機軸を打ち出そうとしていた。
しかし、非主流部門の出身であるがゆえ、同社長を支える社内基盤の弱さや政官界との人脈不足を指摘する声はついてまわった。今回の原発事故の初期段階で東電と官邸、経済産業省との連携が十分に機能しなかった一因は、ここにあった可能性がある。
原発トラブルの現況と計画停電などについて記者会見する東京電力の清水正孝社長(3月13日午後、東京都千代田区)
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原発トラブルの現況と計画停電などについて記者会見する東京電力の清水正孝社長(3月13日午後、東京都千代田区)
東電の歴代社長は1971年就任の水野久男氏から荒木浩氏まで4代にわたって東大卒、総務部門出身。電力自由化にともない、霞が関(経済産業省)との関係を重視するため、2000年以降は南直哉氏、勝俣氏と企画部門が続けて社長を輩出した。
東電の総務部門は代々、政界人脈を引き継ぎ、企画部門は霞が関とのパイプ役を担うことで政官財のトライアングルを築き上げ、時には「財界の共有財産」として活用された。
09年秋、政権を奪取した民主党は自民党寄りだった経団連との対話を拒絶し、財界は政界との意思疎通の手段を失う非常事態に陥った。
打開に乗り出したのは小沢一郎幹事長とのパイプの太い荒木氏だった。平岩外四・元会長以降、脈々と引き継いできた東電の貴重な政界人脈への財界の期待は大きかった。10年秋、原発輸出を推進する官民一体組織「国際原子力開発」を設立する際には、慎重姿勢を崩さない他電力を勝俣会長が説得して回り、「原発日の丸連合」にこぎつけたとされている。
総務・企画部門は政治家や官僚との関係構築の具体的な方法や距離感の取り方など暗黙知を直伝する過程を通じ、忠誠心の強い部下を育成。その集団は部門トップの意思を忠実に具現化する装置として機能する。だが資材畑の清水氏にはこうした目に見えない後ろ盾がなかった。
東電が発信する原発関連情報の大半は経営トップによるものではなく、原発部門を率いる武藤栄副社長によるものだ。情報のわかりにくさや発信するタイミングの違和感は、電力会社の原子力部門が持つ特有のカルチャーに起因するとの指摘がある。
電力会社において、原発部門は長らく「サンクチュアリ(聖域)」とされてきた。「君がどんなに優秀でも社長にはなれないよ」。原子力技術者として電力に入社した新入社員はまず、こうすり込まれるという。原発は時に不測の事故が発生し、厳しく責任追及される。トップが原子力出身では「いくつ首があっても足りない」(電力関係者)からだ。
半面、原発部門は電力会社の稼ぎ頭でもある。償却が進んだ古い原発ほど利益を生む。会社への貢献度が高いのに人事で厚遇されない原子力部門は、同じ会社の他部門よりも他社の原発部門などと交流を密にし、業界横断的な「原子力村」をつくりあげ、他部門は口出しできない雰囲気ができあがっていった。
ところが、2002年の東電原発データ改ざん事件によってその結束が破られる。東電は「聖域」を壊すため、原子力と他部門との間で頻繁な配置転換を実施した。原子力技術者が真っ赤なジャンパーを着て「オール電化/async/async.do/ae=P_LK_ILTERM;g=96958A90889DE2E6E3E4E1EAEBE2E3E4E2E1E0E2E3E29BE0E2E2E2E2;dv=pc;sv=NX」の営業に走る姿も見られた。
だが、「専門家集団という自負心が簡単に消えるものではない」(電力大手幹部)。何度かの制度改革を経て、形としては他部門と同じように統制されているかに見えるが、電力トップが原子力部門を完全掌握できているのかどうかは業界内でも懐疑的な声が多い。
世界で初めての交換工事のため、東京電力・福島第1原子力発電所3号機の原子炉に搬入される新しい炉心隔壁=1998年2月、福島県大熊町
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世界で初めての交換工事のため、東京電力・福島第1原子力発電所3号機の原子炉に搬入される新しい炉心隔壁=1998年2月、福島県大熊町
東電が長年かけて築いてきた政官財のトライアングルもこの局面ではさすがに役立たないようだ。政権内部からは、東電を発電部門と送電部門に分割する「発送電分離案」が浮上してきた。東電にとって会社分割論議は初めてではない。電力完全自由化論議が正念場を迎えた02年にも直面したことがある。
当時、「反電力」といわれた村田成二・経済産業省事務次官は電力会社の権力の源泉を削ぐために、発送電分離を軸とした完全自由化を主導した。一方、東電の南直哉社長(当時)は電力自由化された米カリフォルニア州で01年に発生した大規模停電を引き合いに出し、「安定供給には発送電一体が不可欠」と強硬に抵抗。そのさなかに発生した原発データ改ざん事件なども絡んだ暗闘の結果、東電は南社長ら4人の歴代トップの辞任と引き換えにするかたちで、発送電分離をかろうじて食い止めた。
福島第1原発事故を収拾した後も膨大な賠償を背負う東電には、当時のように正面から抵抗する余力はないだろう。仮に発送電分離を免れたとしても、事実上地域独占状態の電力10社体制がそのまま存続するかどうかは疑問だ。
リスクが顕在化した原子力事業の分離案が浮上する可能性もある。総務、企画、原子力の3部門が微妙な濃度で混じり合った電力会社特有の権力構造は、すでに過去の遺物となりつつあるのかもしれない。
(産業部 江村亮一)
http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C889DE0E4E1EAE5E6E1E2E2EAE2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;p=9694E2E4E2E6E0E2E3E3E2E4E7E0
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